言葉メモ

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『蓄音機』寺田寅彦
しかし多くの人が自らその学校生活の経験を振返ってみた時に、 思い出に浮んで来る数々の旧師から得た本当に有難い貴い教えと云ったようなものを拾い出してみれば、 それは決して書物や筆記帳に残っている文字や図形のようなものではなくて、 到底蓄音機などでは再現する事の出来ない機微なあるものである事に気が付くだろう。
『芝苅』寺田寅彦
例えば人間が始まって以来今日までかつて断えた事のないあらゆる闘争の歴史に関する色々の学者の解説は、 一つも私の腑に落ちないように思われた。 ……私には牛肉を食っていながら生体解剖に反対している人達の心持ちが分からなかった。 ……人間の平等を論じる人達がその平等を猿や蝙蝠以下におしひろめない理由がはっきり分らなかった。 ……普通選挙を主張している友人に、なぜ家畜にも同じ権利を認めないかと聞いて怒(いかり)を買った事もあった。
『俳句の精神』寺田寅彦
いかなる悲痛な境遇でもそれを客観した瞬間にはもはや自分の悲しみではない。

『告白と呪詛』シオラン(Cioran), 出口 裕弘 訳
何か重大な決意を迫られたとき、もっとも危険なのは、他人に相談することである。 というのも、何人か頭のおかしい連中を別とすれば、この世に、 私たちのために心からよかれと願う者など、ひとりもいはしないからである。

どんな分野であれ、衆にぬきんでている者には、どこかしらぺてん師ふうなところがある。

なぜ私たちは、善行をなしたあと、どんなものでもいい、旗を立てて歩きたい、 という気分になるのだろう。 私たちの高潔な心の動きは、ある種の危険を伴っている。 私たちを逆上させるのである。 もっとも、まさにその逆上の結果が、高潔な振舞いになったのでないとすればの話だが。 高潔さとは、あきらかに酩酊の一形式だ。

会話がつづいていたのが、ぷつんと途切れ、にわかに沈黙が支配する。 この沈黙は、私たちを、突如として根源的なものへと突き戻す。 つまり、言葉を案出するのにどれほどの代価を支払わねばならないのかを、 私たちは思い知らされるのである。

自分がしたことを誇るのもよかろう。 だが、それよりも私たちは、自分がしなかったことを、大いに誇るべきではなかろうか。 その種の誇りを、ぜひとも創り出すべきだ。

何ひとつ達成できなかった。それでいて、過労で死んだ。

人間の一生の、きわだった出来事といえば、不和、決裂、これだけである。 私たちの記憶に、最後の最後まで残りつづけるのもそれだ。

私たちは、およそ、どんなものでも獲得することができる。 ひそかに熱望しているもの以外は。 いちばんの執着の対象には、手が届かない。 たぶん、これは正しいことなのだ。 私たち自身の、また、私たちが辿ってきた行程の、その精髄をなすものが、 具現されずに終り、闇に埋もれたままでいるのはよいことだ。 神の摂理も、やることはやるのである。 私たちの内心の敗北感には、魔力が宿っている。 各人、そこから効用と自負を引き出すべきであろう。

人間という人間に、うんざりしている。 それでも、私は笑うのが好きだ。 そして、私は、ひとりでは笑うことができない。

人間関係がかくもむずかしいのは、 そもそも人間はたがいに殴りあうために創られたのであって、 「関係」などを築くようには出来ていないからである。

いずれにせよ、私は、時間を無駄にしてきたとは思っていない。 私もまた、この錯乱した世界で、人並みに東奔西走してきたと申しあげておこう。

『告白』アウグスティヌス, 山田 晶(訳)
言語を学ぶうえで、効果のあるのは、恐ろしい強制ではなくてむしろ、 自由な好奇心であることが、十分あきらかになります。

してはならないことをしてよろこび、それがたのしいのは、 してはならないからであるとは、何たることか。

さて私たちは、知恵について語り、あえぎもとめながら、全心の力をこの一挙にこめて、 ほんの一瞬それにふれました。そして深いためいきをつき、 そこに「霊の初穂」を結わえのこして、 ことばに始めと終わりとがあるわれわれ人間の騒々しい口舌の世界にもどりました。

この世の順境はわざわいなるかな。しかも、一つならず二重の意味で。 すなわち、順境のうちにはいつか逆境が来はしないかという恐れがあり、 また、順境のよろこびがいつかは滅びるという二重の意味で。 この世の逆境はわざわいなるかな。 それも、一つならず二つならず三重の意味で。 すなわち、逆境においてはたまらなく順境が恋しく、また、逆境そのものがつらく、 また、いつか逆境にたえきれなくなる危険があるという三重の意味で。
『猿飛佐助』織田作之助
「昼ニ書ヲ読ミシハ?」
「サレバ、書ハ読ミタル者ヲ聰明ニ成ストハ限ラザルモ、 読マザル者ハ必ズ阿呆ニナラン」
『ユング−地下の大王』コリン・ウィルソン, 安田一郎(訳)
ユングが彼が同時代の人、H.G.ウェルズのように、 天才は自己発達の名において不貞を許されるべきだと思っていたのはあきらかである。

彼は、達成するためにやり出したことを達成した。 これは、どんな人にとっても非常によい墓碑銘である。
『六祖壇経』柳田聖山(訳)
故に知る、一切万法は尽く自身の心中に在ることを。 (さらにまた、あらゆる教えも、すべて自分の心次第であるとわかる。)
『臨済録』柳田聖山(訳)
道流、真仏無形(むぎょう)、真道無体、真法無相。 三法混融(こんゆう)して、一処に和合す。 (道の仲間よ、真実の仏は身体をもたず、真実の道は実体をもたず、 真実の法は特徴をもたない。三つは、互いにとけあって一つにむすびついている。)
『祖堂集』柳田聖山(訳)
「どうか先生、わたくしに解脱の法門をお示しください」
先生、「誰が君を縛った」
僧、「誰も縛る人はいません」
先生、「誰も君を縛った人がないからには、それがつまり解脱である。 何でそのうえに解脱を求める」

質問、「どういうところが和尚の家風ですか」
先生、「きみには答えん」
質問、「どういうわけで答えて下さいません」
先生、「わしの家風だよ」
『宗教とアウトサイダー』コリン・ウィルソン,中村保男(訳)
しかし、真実は、より高い形の生命は、より低い形の生命によって 常に追い廻されるものである、ということだ。女でも、偉大さの要素を もつ者は常に男に追い廻され、偉大さの要素をもつ男は常に女性の追跡を受ける。 そして、私的な意味においてのみならず公的な意味でも偉大となる男または女は、 男からも女からも追跡を受ける。 これらの、追いすがるほうの人びとは、そういう偉人と接触することによって、 自分自身の至らなさから脱れうると期待して、そうするのだ。

『わが最終歌集』岡本かの子
うつし世を夢幻(ゆめまぼろし)とおもへども百合あかあかと咲きにけるかな

『猟奇歌』夢野久作
脳髄が二つ在つたらばと思ふ
考へてはならぬ
事を考へるため

『コリン・ウィルソン評論集』中村保男・中村正明(訳)
現代社会の主要な問題の一つは、知的であるために宗教を受け容れることができないが、 宗教に取って替わるものを捜すことができるほど知的でもなければ頭脳が強靭でもない人々が大勢いる、 という点である。

『性と知性』コーリン・ウィルソン, 榊原晃三(訳)
それでも、一つだけ断言できることがある。 それは、人々は齢をとるのに比例して、賢くはならないものだということである。 それどころか、ますますばかになってくことが、しばしばある。 他人と同じようにふるまったり、自分の平凡さと馴れ合ったり、ときには、 何とか自信を得ようとして愚かにも酒にひたったりして、 自己の不安を覆い隠すようになる。つまり“大人の世界”とは、巨大な信用詐欺のようなものだが、一つだけ相違点がある。 すなわち、大人は、他人をだますばかりか、自分自身をもだますのである。

『風と光と二十の私と』坂口安吾
本当に可愛いい子供は悪い子供の中にいる。 子供はみんな可愛いものだが、本当の美しい魂は悪い子供がもっているので、 あたたかい思いや郷愁をもっている。 こういう子供に無理に頭の痛くなる勉強を強いることはないので、 その温かい心や郷愁の念を心棒に強く生きさせるような性格を育ててやる方がいい。

『若葉のうた』金子光晴
花よ。できるだけ大胆に、かをりたかく咲け。そして、聡明であれ。 だが、それよりももっと、嫋やかであれ。


『御教訓大語海』

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