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渡部 善隆:
誰のせいでもない雨が〜センター広報・編集後記26年史〜,
九州大学大型計算機センター広報, Vol.27, No.4 (1994), pp.368-410.


★注意★
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まえがき

残すべき“資料”としてのセンター史

今年1994年(平成6年)は、九州大学大型計算機センターにとって1969年(昭和44年) 3月に福岡市東薬院の仮設センターで計算機の稼働を開始してから25周年にあたる。 計算機環境が激変し続けた四半世紀の歴史を、何とか折り合いをつけながら無事に切り抜けてきたということで、6月20日には25周年記念式典が開催され、 さらに近々『センター25年史』(仮題)が刊行予定である。

九州大学大型計算機センターの歴史については、この『センター25年史』および、 1981年(昭和56年)に広報特別号として発行された『10年のあゆみ』に、 システムの変遷・年譜が、当時を知る人の随想とともに掲載されている。 センターの歴史を語る文献としては、この二冊で十分であるし、今後も貴重な資料として重宝がられることは間違いない。 しかしながら、この二冊の足りない部分をあえてあげれば、「後に残すべき資料」という性格を持ったが故に、 自然「計算機システムについて何事かを語る」ことになり、 当時のセンターにいる人がどんなことを考えていたのかという、実は野次馬的に一番面白い部分が欠けている。

センターの歴史を、一つの読みものに仕立てあげるためには、過去のセンター職員全員に何か書いてもらうなり、インタビューし、倉庫に埋もれている大半は無味乾燥な資料を丁寧に仕分ける作業の後、もちろん極めて優秀な編集スタッフで原稿をまとめる必要がある。 しかし、そのようなことを実現するための大きな障害がある。 それは、仮に素晴らしい“読みものとしての”本が出来上がったとしても、絶対に売れないという悲しい事実である。

残さなくてもいい“散文”としてのセンター史

そこで、できるだけ楽をして、 計算機システム以外の切り口でセンター創立から現在に至る歴史を語れないかと考えて、 『広報』の編集後記を引っ張り出すことにした。

例えば『10年のあゆみ』の随筆のコーナーを読めば、当時の、 俗ないい方をすれば“偉い人(これは「責任を持つ、あるいは監督する立場にある人」 という意味で、他意は一切ない。)”の思いは伝わってくる。 なぜなら随筆の執筆者は皆さん“偉い”からである。 それに対して、広報の編集後記を書いてきた担当者は、 次章以降を読まれればわかるように、ほとんどが“偉くない人(これは“偉い人”以外の人という意味。他意は一切ない。)”である。

広報の編集は広報教育委員会で行なう。 センター内には、広報教育委員会に対応したグループがある。 最近はこの広報担当の職員が持ち回りで編集後記を執筆することになっている。 その昔は、一人で長期間に渡って編集後記を書いていたこともあった。

私は広報担当になったことがないので、 まだ一度も編集後記を書いたことがないが、 これまで見ている限り、編集後記を書く順番になった 担当者のとる行動はだいたい次のようである。

Step 1: 〆切ぎりぎりまで書くことを忘れようと努める
Step 2: いざ原稿を催促される段になってあわてる
Step 3: 「自分は文章を書くのが苦手だ」とあらかじめ逃げを打つ
Step 4: とか言いながら、面白い文を書こうと頑張る

昔も編集後記を書く人の立場は、上とあまり変わらなかっただろう。 出来はさておき、その苦労はむくわれているようである。 私の知っている人は広報が送られてくると、編集後記だけ 読んでさっさと広報を部屋の端の本棚にしまってしまう。 おそらく他の解説記事は二度と読まれることはない。 以前利用者に、広報記事の中でどのコーナーを読むかのアンケートをとったことがある。 結果はVol.26, No.4に掲載されているが、この中に編集後記の欄がなかったことは大変残念であった。 しかしながら、例えば「ライブラリ室だより」を読むまたは目を通す人が 81.5% もいる結果から、これは予測であるが、おそらくかなりの人が編集後記に目を通すものと考えられる。 理由は、編集後記が常に広報の終りに位置しており、パラパラめくった時に目につきやすいことと、一般に「堅い」解説記事の中で、楽屋落ちのようなくだけた文が多いことからの推測である。

『九州大学大型計算機センター広報』は、Vol.1, No.1が1968年(昭和43年)に発行された。 この号であるVol.27, No.4まで足かけ27年間、別冊を除いて合計135号が発行されている。 実際は合併号が二度出されているので、冊数は133冊になる。 その中で編集後記は一回の休みもなく掲載されている。

本号や過去の編集後記も大体そうであるが、執筆者の名前はイニシャルかペンネームもどきである。 例をあげる。センター内部の当時を知る人でないと、誰が書いたのか分からない。

       もうそろそろ人生下り坂に近付きつつある S.A. 
       アトピーfujii
       K子
       F
       暑くても夏太りしたオバタリアン 

編集後記は多くても一ページであり、軽い読みものが主なので、 名前を出して責任を明記する必要もなかろうと思われる。 本稿では、明らかな誤字以外は広報掲載の原文のまま引用し、 この記事を書いたのが誰で、何のつもりで書いたのかなどという 追跡は(本当は是非やりたかったが)原則としてしない。 ただし、記名の場合はそのまま紹介する。

また、ときたま計算機センターとは直接関連のないかもしれない編集後記を紹介して、 なおかつ話を更に脱線させる場合があるが、「広報の記事の紹介とそれに対するコメント」という範疇でかろうじてセーフだと開き直らせていただく。

なお、表題は中島みゆきさんの曲名から勝手に使わさせていただきました。 詳しくはアルバム『予感』(1983年発売)をお聴き下さい。 特に落ち込み気味で元気のない人は必聴です。43ページ。

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